2011年1月28日金曜日

ある大学生のミスと、傲慢な大学院

今日はこの件について。状況がはっきりしない時点でRTした私も軽率だったと思っている。

合格通知の電話を取れなかったことで大学院の追加合格を取り消された大学生のツイートをきっかけに広がった今回の騒動。
件の彼とは面識はないが相互フォローしており、ツイートの内容も興味深く、参考になることも多いだけに気の毒だ。

連絡に気づかなかったことに関しては彼のミスである。ただ、大学院側のやり方に問題はなかったのだろうか?

合格発表があったのは平日の10時半。彼に電話があったのが10時45分で、大学院側は11時15分までに折り返し電話するよう求めている。
この時間帯であれば大学生の多くは講義を受けているだろうし、一月下旬なのでちょうど期末試験の時間帯であることも大いにありうる。
にもかかわらずこのような形で合格通知をするということは、「うちの大学院に入りたければ講義や試験があろうと欠席して電話待ってるよね?」という意思の表れではないだろうか。

このような傲慢なやり方はこの大学院に限った話なのだろうか。こういうやり方が長年続いているのだとしたら、これも悪い伝統のように思う。

2011年1月24日月曜日

悪い伝統がなくならない理由

伝統の一戦、体育会系、終身雇用、年功序列、……。この国ではとにかく「伝統」が重視される。たいていそういう伝統は、「今までみんなこうだったんだから」や「自分のときはこうだったんだから」、あるいは「これがここの伝統だから」という、一見もっともらしい理由がつけられて、次の世代へ受け継がれていく。

その中には一目見て不合理とわかるものもある。当事者のほとんどはそれに気づいているのに、悪い伝統がなかなかなくならない。伝統的なものを変えようとすること自体が「悪」だとみなされる。

その理由を考えてみて行き着いたのは、変える決断の責任は一人に集中し、変えない決断の責任は分散されて一人当たりほぼゼロになるということ。背景にあるのは、変えることは決断で、変えないことは決断じゃないという考え方なんじゃないだろうか。

もちろん、伝統が始まったときはそれが合理的だったんだろう。でも、時間とともに周囲を取り巻く状況は変化する。その度に伝統を見直さないのは怠慢でしかない。「伝統だから」で済ませるのは、自分が変えない決断をした責任を先人たちに押し付けて逃げてるだけだし、「自分のときはこうだったんだから」と次の世代に押し付けるのは、状況の変化に気づいてないだけだろう。



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